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叡山電鉄一乗寺駅から白川通を超え、しばらく坂道を登ると「詩仙堂」です。

ここを造営した石川丈山″は凹凸? (おうとつか)
という名前をつけました。

凹凸?とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味でありこした土地に建てた庵の意)という意味です。
「詩仙堂」はその中の一室の名で、現在、正式には「詩仙堂丈山寺」と称し、禅宗の曹洞宗大本山永平寺の直末の寺院になっています。

石川丈山は、天正十一年(一五八三)三河国(現在の愛知県安城市)に生まれました。
石川家は父祖代々徳川家譜代の臣であり、丈山も十六歳で家康公に仕え、近侍となりました。
松平正綱・本多忠勝等は親族であり、家康公の智慧袋として有名な本多正信は叔父にあたります。
三十三歳の時、大坂夏の陣では勇躍先登の功名を立てましたが、この役を最後とし徳川家を離れ、京都にて文人として藤原
惺窩に朱子学を学びました。
その後、老母に孝養を尽すため、広島の浅野侯に十数年仕えましたが、母の没後五十四歳の時、京都に帰り相国寺畔に住居しました。
寛永十八年五十九歳で詩仙堂を造営し、没するまでの三十年余を清貧の中に、聖賢の教えを自分の勤めとし、寝食を忘れてこれを楽しんだといわれます。

丈山は漢詩・隷書・作庭すべてに才能があり、各界の専門家をうならせたと言われています。
詩仙堂の建物と庭園では、
その丈山の趣味の深さを随所に見ることができます。
専門の知識がなくても、控えめな装飾の味わい、庭園のレイアウトの美しさは十分味わっていただけるはず。

四季を通じて花が咲き乱れ、 歩きながら思索する楽しみがあります。
参考文献 :
詩仙堂 石川順之 淡交社
by 似内惠子 |